:2018/12/02  :2018/12/04

招き猫の発症の地や由来はどのくらいあるの?結局どれが一番有力な説なの?

今回は招き猫に関するお話です。招き猫とは手(前足)を頭の所に掲げて人を招いているようなポーズで有名な猫の置物です。右手を掲げている猫は金運を招き、左手を掲げている猫は人を招く、つまり商売などではたくさんのお客を招くと言われています。

ですので商売繁盛などの思いを込めて招き猫を置いているお店なども多いのです。そんな招き猫ですが、実はその由来は一つではありません。

いくつかの有力な由来があるのです。由来があるという事は発祥の地も複数あるという事になります。そこで今回は招き猫の由来と発祥の地についてのお話をしたいと思います。

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日本での猫の歴史!

日本にはお寺や神社がたくさんありますが、その中でも猫に関連した寺社は意外に多くあるのです。日本での猫の歴史はかなり古く、その登場は飛鳥時代と言われています。

その後、平安時代には宮中で猫が飼われた記録もあるのですが、まだ愛玩動物としての地位は獲得できていません。

その後鎌倉時代には仏教の経典等をネズミからも守る為に猫が飼わるようになったのです。そして室町時代にはようやく愛玩動物として猫が飼われるようになったのです。

それ以来猫と人間は共に共存するようになりました。このように猫の日本での歴史を見てみると意外に古い事が分かります。そう考えると猫に関係するお寺や神社が多くあるのも頷けますね!

そんな猫関連のお寺や神社ですが、実は招き猫の由来も寺社に関連している物が多いのです。それでは招き猫の由来について見ていきたいと思います。

豪徳寺

それでは最初は豪徳寺での由来から見ていきたいと思います。

豪徳寺は招き猫でかなり有名なお寺です。その由来ですが、彦根藩主の井伊直孝が鷹狩りに出た帰りに小さなお寺の前を通りかかったのですが、そのお寺の門のところに猫がいて前足で手招きをするような仕草をしていたのです。

その仕草がまるでお寺に入るように手招きしているように見えたそうです。そこで井伊直孝の一行がお寺に入ると突然豪雨となったのです。井伊直孝は猫の手招きのおかげで豪雨を避ける事が出来たのです。

この事がきっかけでこの小さなお寺(弘徳庵)は余すばかりの寄進を受け立派なお寺になったのでした。更には井伊家の菩薩寺になり名前も井伊直孝の法名にちなんで豪徳寺となったのです。

この猫は恐らく前足で顔を拭いていただけだと思いますが、それをたまたま通りかかった大名が手招きと解釈した事が招き猫誕生のきっかけとなったのです。

いくつかある招き猫の由来の中でもこの豪徳寺説はかなり有力な説の一つです。

今戸焼き(今戸神社)

次の説は今戸焼き説です。江戸時代の末期に浅草に住む老夫婦が貧しいあまりに愛猫を手放す事になったのですが、なんとその猫が夢に現れて『自分の姿を人形にしたら福徳を授かる』と言ったそうです。

そこで猫の人形を作って売って見たところ、たちまち評判になったそうです。その猫の人形は今戸焼にして売ったのですが、売った場所が今戸焼発祥の地にある今戸神社の鳥居の横だった関係もあり今戸神社ではたくさんの招き猫が祀られています。

今戸焼のペアの招き猫は良縁を招くと言われていますので、若い女性などにも大変人気があり、評判になっています。

の神社ではイザナギ、イザナミの夫婦の神様を祭っていることから招き猫もオスとメスのペアとなっています。また、円満や良縁の願いを込めた招き猫の絵馬なども人気です。

自性院(猫寺)

次は猫寺の別名を持つ自性院の説です。自性院は大変歴史が古く、平安時代に空海が建立したのが始まりと言われています。

そんな自性院ですが、この寺院が猫寺と呼ばれるようになったきっかけがあります。それは室町時代の後期に行われた江古田・沼袋の戦いでの出来事です。

この戦いは室町時代の武将である太田道灌(おおたどうかん)と豊島泰経(としまやすつね)との間で行われていた合戦ですが、合戦の最中道に迷って苦しんでいた太田道灌の前に一匹の黒猫が現われて太田道灌に手招きして自性院に招き入れて危機を救ったと言われています。

この事がきっかけで戦況を盛り返す事が出来た太田道灌は黒猫に感謝しつつこの猫の死後に猫地蔵を奉納した事が猫寺と呼ばれる所以となりました。その猫地蔵が招き猫の起源とも言われているのです。

結局はどの由来が最も有力なの?

最初の豪徳寺説ですが、これは井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺(当時の弘徳庵)に立ち寄った事がきっかけですが、この鷹狩りがいつ行われたのかはハッキリとした記録がないので分かりませんが、井伊直孝は1590年生まれで1659年没なのでこの鷹狩りは1600年前半であろう事が分かります。恐らくは1650年前後ではないかと思われます。

2番目の今戸神社説ですが、これは嘉永5年の出来事なので1853年となります。年代的には豪徳寺説の方が200年位早いという事になります。

もし年代のみで考えたら今戸神社説よりも豪徳寺説の方に軍配が上がりますね。

ただし、江戸末期から招き猫が今戸焼の人形として売られていたのは事実なので、それはそれで歴史があります。

3番目の自性院ですが年代的にはこの自性院の説が時代的には最も古いです。猫地蔵が祀られたのは1477年なので豪徳寺説よりも約200年古い事になります。

猫地蔵には二体の猫が祀られているのですが、もう一体は約300年後の1767年に祀られています。

猫地蔵に入るとたくさんの招き猫が置いてありますが、肝心の二体の猫地蔵は招き猫特有のポーズはしていません。

もし1477年の猫地蔵が招き猫のポーズをしていたら自性院が招き猫発祥の地と言ってもいいかもしれませんね。

確かに時代背景的には一番古いのですが、招き猫の発祥かどうかは断定できませんね。

まとめ

招き猫の由来は今回ご紹介した以外にもまだいくつかの説があるようです。

世間的には豪徳寺説が最も有力だと言われていますが、実際にはどの説が本当の由来かは分かりません。

いずれにしても招き猫一つをとってもいろいろな説があるのは興味深いですね。また日本の寺社には猫にまつわる話が意外に多いのも驚きです。

ですので今回ご紹介した以外にも多くの寺社に招き猫が置かれていたりします。

こう考えると猫はいつの時代にも愛されてきたのだな、と思います。

招き猫はよく商売繁盛の願いを込めて自営業などの商売をやっている方が店先に置いたりしていますが、商売をやっていなくても置物として部屋に飾ってみるのも悪くはないと思いますよ!


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